2015年11月4日 前嶋 規雄(オフィス エム・ソリューション) トップページへ
短歌にはいくらでも、絵(イメージ)をそえることが出来ます。双方でうまくマッチングしていると、伝えたい念いが何倍にもなることがあります。また別な「生命」になって、作者の意図と別の方角へ飛んで行ってしまうこともあり、それは再創造で、面白いと思います。
最近機会があって、和歌を教えていただくことになった方が、福井素道さんです。家系は由緒ある仏教のお寺ですが、仏教の枠にはまりきれない宗教家であります。同人誌に発表された多くの和歌から、安らぎを感じる一首に、大変心が惹かれました。
その和歌を読んだ時に、私の頭の中で一枚の絵が浮かびました。この絵は、中学~高校の同級生が、学生時代の登山のかえりにスケッチした絵を、半世紀も経って、油彩に描きおこして、示現会という新国立美術館の展示会で、展示をされ、私が鑑賞した「下山」というタイトルの絵です。 スケッチされた場所は、私も何度か歩いた、安倍川の奧の十枚山登高の「下山」時に 北西の方向の大井川北部の山を見通して描かれています。 午後になると峡(たに)から山霧が湧きだし、反射して夕陽がわたってくるのが見えます。これだけでも「静謐」さを感じる良い絵です。 しかし発見はこのあとありました。絵は何百点もある広い展示場の、少し高いところにあり、近づいてゆっくりと見ていると、首が痛くなりますので、デジカメでパチリとやり、家に帰ってゆっくり鑑賞を始めました。 発見は中央右寄りの3つの黒点でした。(展示会では誰もが見落とします)
などと勝手に思い込むと不思議なことに、難聴の私の耳に、昔通った中学の下校時間にスピーカから流れた曲が聞こえてきます??? それはドボルザーク「トーキ ヤーマに ヒーは落ちてー♪」のあの新世界の曲です。
ここまでが今年の春の話です。
お題が「烏」で、福井素道さんが、2011年11月に発表した和歌がこれです。
ゆふ空に舞ひ上り黒点となる烏 無碍なる世界に入りゆくものか
「融通無碍」の世界こそ、今の私たちが欲している世界であり、生き方だと思います。 絵を描いた友人は、今でも焼津市で病院の現役の院長さんです。本当に蛇足なのですが、自分の頭の中で、別々の現実が、ひとのえにしでつながった不思議な感興の世界です。
現代はネットワークで繋がれた時代です。絵や写真のような映像(イメージ情報)と、俳句、和歌や詩などの言の葉(ことのは:文字情報)や、さらに旋律(音情報)も、世の中に遍満(ユビキタス)しています。
今回のように、一人が絵を創り、一人が空耳?で、別人の創造した短歌とつないで、しみじみした情感が生まれました。
つぎに今回の「ことのは」を読んだ別な人が、別な「映像」と組み合わせ、新しい世界を創る事は出来るでしょう。
ここまで来ると、「宗祇~芭蕉の連歌の世界」と同じことに気づかれるでしょう。
違うことは、文字だけでなく、絵や、音もリンクしても良いのです。これはマルチメディアです。世界はネットワークでつながった世界(コネクテッド・ワールド)です。構成員が同席しなくてもネットワーク上でどこにいても、出来ます。「同時性」も不要です。今ITの世界で、「データが氾濫する」と言わなくても、ビックデータを扱える道具もあります。
さてこれが「芸術の類いか?」というと、明白なことは、機械的に組み合わせたのではなく、その「個人の感性」のもとで組み合わせることで、感動する創造性が発揮される。それが今の私の結論です。
仮に名付ければ、「平成の連歌・共創の世界」で、総合芸術とは言えませんでしょうか。
2015/11/04 前嶋 規雄 サイトトップへ>>